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享年29
「怪童丸」の呼称で
将棋界で異彩を放ち、
谷川浩司や羽生善治をも超える
異例のスピードでプロ入り、
「東の羽生、西の村山」と
並び称され期待されました。
「それにも命があるから」と
髪や髭、爪を切ることを
嫌がった村山聖は幼少から、
難病のネフローゼ症候群に
最期まで苦しみ続けました。
28才で膀胱癌が発覚、
転移が進み亡くなりました。
最期の最後まで棋譜をそらんじ
最期の言葉は
「2七銀、、、、」
というものでした。
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