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マキノ 省三
マキノ省三
1878~1929
まきの しょうぞう 映画監督
享年51
「日本映画の父」と呼ばれ
チャンバラ映画の
創始者でもある
日本最初の職業的映画監督。
肺病にかかり京都の自宅で
病床にあったマキノ省三は、
かねてから
京都北野天満宮の夏祭
7月25日に死ぬと
公言していました。
その夏祭り前日の24日、
息子正博との会話
省「まさ公、明日25日やなぁ」
正「うん、あんた死ぬいうて
死ねへんがな」
省「いや、わからんぞ」
夜12時を過ぎ、
省「まさ公、マキノ省三は
死ぬんやぞ」
正「何いうてんねん」
それから床上で脱糞し
省「これをカニババという」
正「明日の仕事があるから、
お父っつぁんも
もう寝てくれ」
省「お前はおれのいうこと、
とうとう最後まで聞いて
くれなんだな。
親不孝なやっちゃ
ほな、さいなら」
それから目をつむり、
しばらくすると
省三の頭が枕から落ちたので
正博が枕に戻してやろうとすると
すでに死亡していました。
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